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THE KENDAI NET: 静岡県立大学のバイリンガルPB情報é No. 4. 1997年6é26日. 2

腹芸とコミュニケーション

ティモシ・ニユーフィールズ

 日本人にé味について英語で尋ねると、その答えはひじょうに不éゥ然に聞こえ る。é味がた った一つしかないとか、éミ会性とはかけ離れた「睡眠」や「家é磨vといっ た回答があったり、曖昧な表現による「読書」や「音楽鑑賞」といったものが多い。
 こうした答えは、文法的には正しい英語である。しかし、会話することをéミ会的 行為の 一つ(人間関係を形成する行動の一つ)としてとらえた場合、そこにéミ会性や相é との関係や立場を考慮すべきであるが、これらの回答にはそういったものが欠如してい る。文法や語彙は、会話の枠を形づくるだけである。会話という行為で最も重要なé抹ソ は、会話が人と人を良くも悪くもéミ会的に関連づけるということであろう。

「socioculturalな文法(éミ会文化に基づく規則)」

 Bronislaw Malinski(éミ会人類学の創énéメの一人)は、人々が何故会話をする のかについて研究した。会話が共通意éッをもたらし、また、影響を与えるé闥iとして 有 効であるとéw摘した。彼の見解では、会話は人間関係を形成し、影響を及ぼし、変化を促 す方法としている。会話のもつéミ会的な原動力は、éタ際の表面的な会話よりもかなり重 要なものだと言える。
 日本における過éの外国語教育は、文法と語彙を重é汲オすぎてきたようにévえる。 母国語ならばそういうわけではないのであろうが、こと外国語となると、会話を個人 間の情報交換 としてよりむしろ、é業の上での文法と語彙の固まりとして教えている。 会話による人とのéミ会的な関係が軽é汲ウれていたとしかévえない。特に留意すべき点について下記に記した。
 上記の項目は一éの「socioculturalな文法(éミ会文化に基づく規則)」と言うこ とができよう。こうしたéミ会的な「規則」を誤ることは、文法や語彙を誤ることよりも深刻な 問題になるかもしれない。たとえば、同級生から「週末は何をして過ごすの?」と聞かれ て、「 33%は眠る、25%はédé魔して、16%はテレビを見て、家é魔12%やって・・ ・」という風に答えるだろうか?まったくあり得ないとは言わないが、この答えではéミ会的に不 適当だろう(これでは友人は出来まい)。éソ問は、友人同émのありふれた会話の一éかも 知れないが、相é閧ニの関係に発展の可能性を含んでいるのだ(『週末、君は何をして過ご す?もし共通のé味があれば一緒にしようか?』)。前の答えでは友人は離れてしまうだ ろう。
 日常の殆どの会話は、éミ会的な儀éョの一部であり、建て前である。会話はフィク ションであり、完全に隠し立てのない率直な会話というのはそうあるものではない。しかし、 それ もお互いに本音と建て前をおおむね理解しあえる同じスタンスで立っているならばよい だろう。なぜなら、会話の前提となる文化(慣習)によって望ましい本音と建て前は変化する からだ。たとえば、アングロサクソンの慣習は、édé魔é味についてはっきり答えるが 、結 婚しているかとか年齢については尋ねる方も遠慮するが、答える方もあやふやだ。日本は逆で ある。経歴やédé魔フ内容、地位についてあまりはっきり答える人はいない(édé柾繧ナの会話 はもちろん別だ)。

異文化間コミュニケーション

 異文化間コミュニケーションの発展のために、é氓フ3つのポイントが必要である 。  まず、会話のすべてを額面通りにéけé~めないことである。特に外国語の場合は である。文法や語彙に集中しすぎると、相é閧フ本音と建前を理解するのが難しくなる。殆どの 会話には例えればどうでもよいもみ殻が多く含まれており、大切なéタを見つけるのは難しいも のだ。
 もう一つの点は、éゥ分の声、言葉、ボディランゲージをégって、目標のéタ現の為 にどういうふうにéゥ分を演出するのかをもっと学んだほうがよいであろう。会話はドラマの一部 だ。人生というドラマのéタ際の登場人物のキャラクターは多面的である。たった一面だけをそ の人のすべてとしてしまうのは、たいへん狭量でつまらないことである。そのためか、日本 人は日本人同émの心の機微をé@知するのが上é閧ネのに、外国人のそれに対しては誤解しているこ とが多いように見うけられる。
 最後に、外国語で話しているときの己のペルソナ(人格)を確立することだ。外 国語で話しているときのパーソナリティは、éゥ分éゥ身ではどんなイメージであろうか? 緊張して いるか?リラックスして堂々としているか?表現や表情が豊かであるか?または乏しいか?殆どの人 が母国語と第二または第éO外国語のアイデンティティとの間にギャップが生じる。多くの日本 人は、外国語で話すé栫A心配になり堅くなる。そのために日本語で話せば 豊かな感性のé揩ソé蛯ナ あっても、それを知らない外国人からはおどおどした人だと誤解さ れ、正当な評価をéけられ ないでいる。
 évうに、日本人なりの会話の成功のためには、やはり日本人なりの腹芸という伝統 をévい出した方がいい。会話は相é閧ェあってのこと。知的駆け引きをするのは文法でも語彙でも ないのだ。


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