拷問を受けたすべてのパレスチナ人のために
カッディーシュを歌おう
そして
暗殺された数多くのコソボ民族のために
ゆっくりとワルツを踊ろう
何百万もの飢えたツチ族のために
詩を書こう
そして
奪い取られた民主主義のために
「マリアに栄光あれ」と、唱えよう
不条理を祝い
我々の深刻な無関心さや
人間の野蛮さを曝け(さらけ)出す
一つの儀式として
けっして許されることのない
一つの証として
おこなおう
歴史の闇が徐々に明らかになり始めると
人々は過去に思いをめぐらし、
「なぜ この悪夢を許したのだろうか?」
「なぜ、ヒトラーの台頭と虐待を止められなかったのだろうか」
と、疑問を呈します。
満足すべき歴史の証言があれば、
このような質問も簡単に答えがでます
しかし、別のささやきも聞こえてきます:
「なぜ、現世の悪夢を止められないのか?
今起こる血塗られた政治家の悪行を止めさせられないのか?」
私は
良心よりも快楽を優先し、
不正行為に無頓着な人々と
同じように罪深いでのではないだろうか